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5月16日 おくの細道へ出発

1689年5月16日は、俳諧師の松尾芭蕉(46歳)が弟子の河合曾良と共に『おくの細道』の旅へ出発した日とされています。

※俳諧師(俳句が専業の人物のこと)

 


■毎日16km歩いた旅路


『おくの細道』は、名所を巡りながら俳句を詠む旅で、今の東京→東北→岐阜の2,400kmほどの道程を、およそ150日間で踏破するものでした。

平均すると、1ヶ月で480km、1日16km、現代のように整備されていない道を歩き続けたことになります。

しかも名所で感動し、感動を句にするという過程もつきます。

私たち現代人の平均歩数は7,200歩/日(約5.5kmほど)とも言われていますので、二人の健脚ぶりには驚かされます。

馬や駕籠(かご)なども使っていたのでしょうか?

 


■山形県にも来ました


そんな『おくの細道』の道程では、ここ山形県にも立ち寄っています。

岩手・宮城方面から入り、(以下現代表記)尾花沢市→山形市→大石田町→羽黒山→月山→湯殿山→鶴岡→酒田、と俳句を詠みながら歩き、新潟へ去っていきました。

 

 

・・・あれ?

なんと、米沢市には来ていません。

南陽市にも、高畠町にも、川西町にも・・・置賜は端折られました。

 

 

宮城方面に行く前に、福島県の飯坂温泉には浸かったようです。

 

小野川温泉も近くにあるのに・・・置賜に来るのに栗子峠を越えるのが大変だったのでしょうか・・・。

 

 

一部文献によると、おくの細道の最大にして本当の目的は、幕府密偵の曾良が当時力をつけていた仙台藩の偵察をすることであり、俳諧師の芭蕉を伴ったのは、「芭蕉、弟子と共に北の名所巡り俳句の旅へ!」というフェイクニュースでそれをカモフラージュしていたとも言われています。曾良が密偵・・・、もしかして芭蕉も??(←忍者の里、伊賀出身)。

真実はわかりませんが、歴史の中の秘密には関心がそそられます。

同じく関心を持った方はぜひ調べてみてください!

 


■2人で60句以上


『おくの細道』の旅路で、芭蕉と曾良は二人合わせて60句以上を残しました。

山形県内では、山寺での有名な句など11の俳句を詠みました。

その中の、あまり有名ではない方の俳句から三句をご紹介します。

出羽三山で読んだ三句です。

 

 

「涼しさや ほの三か月の 羽黒山」

(羽黒山にて)

 

「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」

(月山にて)

 

「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」

(湯殿山にて)

 

 

個人としては、月山の句がいとをかし。

 

五・七・五の17文字でものごとを表現する俳句は、日本語の奥深さを教えてくれる気がします。

 

 

まずは私たちの母語である日本語を、「本当に理解して」読めること、それが全ての勉強の基礎ではないでしょうか。

 

それができないと・・・将来AIに仕事を奪われるらしいですよ!

 

みなさんは、学校で使っている教科書を、本当に正しく読めていますか?

 

 

 

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