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【置賜偉人伝⑫】チャールズ・ヘンリー・ダラス

星先生の『置賜偉人伝!!!』

第12回:チャールズ・ヘンリー・ダラス[貿易商人]

 

米沢牛なのに飯豊が出荷量1位なのはなぜでしょう?

【チャールズ・ヘンリー・ダラス】
 現に昨年度の米沢牛の全体の40パーセントが飯豊の町内から出荷されております。
一見すると産地偽装ではないかと思われますが決してそのようなことはございません。
今回はその地元の人でも高級で敷居が高く、なかなかありつけない米沢牛のルーツを辿ってみたいと思います。
 明治7年(1874年)7月に廃藩置県の末、米沢藩は米沢県となり、江戸時代から続く上杉鷹山や細井平州先生のご尽力で創立された藩校興譲館ですが、組織改革の末に洋学科が設置され、そこで教鞭をとってもらうべく、4番目の外国人講師としてチャールズ・ヘンリー・ダラス先生をイギリスから迎えました。
生徒からも住民からも敬愛され愛されていたとても礼儀正しい英国紳士(ジェントルマン)でした。
興譲館でチャールズ先生は、英語はもちろん、数学、経済学、地理、世界史を指導していました。またスポーツも得意で生徒と一緒に汗を流しておりました。
探求心も旺盛で「おしょうしな~」(ありがとう)などの米沢弁もしゃべっていたそうです。
一方で、米沢で生活する傍ら、牛舎で牛を飼育するという動物愛護な側面もあり、その牛に興味が湧いたそうです。
そこで興譲館での赴任期間が満了し、米沢から雌牛を一頭、横浜に連れていき、そこでイギリスの仲間たちにふるまったら大評判とのことでした。
それが米沢牛が全国に広まるきっかけとなったのです。
また、チャールズ先生は米沢牛専門店に資金を出して米沢に牛肉店を開業させました。
米沢牛は、置賜3市5町にて、銘柄推進協議会が認定し、登録された牛舎で生産されたまだ子供を産んでいない黒毛和牛の雌牛であり、生後32ヵ月以上で、厳しい審査を通らないと名乗ることはできません。
飯豊町は自然が豊かで、熱い生産農家さんがたくさんおられ、米沢牛の生産に適した環境が整っているのですね。

 

 

 

[米沢駅西口から徒歩1分]

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