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【置賜偉人伝⑭】桜井祐一(彫刻家)

星先生の『置賜偉人伝!!!』

第14回:桜井祐一 (彫刻家)

 

大ヒット上映中でかつ今月初めに単行本最終巻が発売された「鬼滅の刃」の大正時代。

そこには日本が誇る代表的な彫刻家がおりました。

米沢一中付近に住之江橋がありますが、彼の作品は一年中そこに展示されております。
桜井祐一は、大正三年、米沢市北堀端町(現在の米沢市丸の内)に生まれました。
小学校の頃から図工が得意な男の子でした。
図工の授業では荒々しいタッチの迫力ある絵を描いておりました。このころから芸術的なセンスが少しずつ垣間見えてはおりました。
10歳の時東京へ移住し、17歳の時には当時の日本美術院彫刻部の代表であられました「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」に彫刻を教えてもらうことになりました。
才能が開花するのは早く、20歳の時、日本美術院展覧会(院展)に「乞う人」で初入選しました。
それ以降というもの飛ぶ鳥を落とす勢いで院展や各種展覧会で何回も受賞し、なかでも
第36回の院展では「青年」で大観賞(日本美術院賞)を受賞し、若くして米沢市から初の功績賞が送られました。
第45回に院展出品作品である「ネグリジェの女」は優秀美術品として文部省(現在の文部科学省)が買い上げるほどの物でした。
そこからも、それにおごることなく、次々に作品を制作していき、日本の代表的な彫刻家としての地位を築き上げたのでです。
戦時中は、故郷である米沢に疎開していたのですが、その時に米沢美術連盟を組織して地元米沢の文化芸術のために重要な役割を果たしました。
才能がある人ってすごいなぁうらやましいなぁとは思いますが、才能があるからこそ認められるために努力もするし継続もしなければならないし、そこには大変さがあるんだと思います。
桜井祐一はもうこの世にはいませんが、彼の残した作品は永遠です。
勉強に行き詰まったり、部活でうまく行かなくなったり、人間関係で疲れたりすることも生きていれば誰でも当然あります。
そんな時はいつでも、住之江橋を渡ってみて、彼の作品を観ると置賜には素晴らしい人がいた、とにかく彫刻作品の制作に毎日明け暮れていた人がいた、そんなことを感じながら息抜きをしながら、これから始まります共通テスト、一般受験、高校受験を乗り切っていきましょう!

 

[米沢駅西口から徒歩1分]

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