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【置賜偉人伝⑥】上杉 鷹山

星先生の『置賜偉人伝!!!』

第6回:上杉 鷹山

ついにきました!米沢の誇り、鷹山公!

 

第5回:南雲 忠一さん[海軍軍人]はこちら。


1767年4月24日、上杉鷹山は17歳という若さで米沢藩の藩主になりました。
先代の藩主重定に男の子がいなかったので、九州の高鍋藩(現在の宮崎県児湯郡)から養子として暖かく迎えられました。

 

当時の米沢は、それはもう貧しくて鷹山は藩の立て直しを余儀なくされました。

 

立て直しに当たり鷹山公が行った政策の中で特筆すべき3つをご紹介します。


 

■その一は「徹底した倹約」です。

旅費、祭礼費、着物、食費、そして鷹山自らの生活費までも今までの約85%も削減しました。贅沢な生活に慣れていた家臣から当然のように反発がありましたが、その家臣(七重臣)を処罰してまで、それを押し切ってのことでした。

米沢では「ウコギ」を食べる文化がありますが、これも鷹山公の質素倹約から始まりました。ウコギは当時生垣に使われていた植物です。垣根と非常食の一石二鳥ですね!

 

■政策その二は「産業や開墾の推進」です。

米沢には最上川の源流があります。そこから中心部への灌漑設備を整備し、水田をたくさん作りました、黒井堰といいます。また養蚕、青苧、綿、漆などを栽培し、鯉の養殖も始めました。

今でも鯉の煮物を食べる文化がありますが、これもタンパク質の補給源として鷹山公が勧めた政策によります。

 

■政策その三は「学問の奨励」です。

江戸より細井平洲先生を招き、藩校興譲館(現在の山形県立米沢興譲館高校)を作りました。興譲館は「新しくことを興すよりは、廃れたものを興すほうが人情を保てるのである」からを由来としています。

 


 

これらの政策が奏功し、米沢藩は財政の立て直しに成功します。

 

1785年、鷹山が隠居して2年後、11代将軍徳川家斉公より藩の立て直しがものすごく優秀だったことを認められ、御紋付のお羽織三着を御下賜されました。

その中の一着を高鍋藩の実父種美に差し上げるという鷹山公の親孝行な一面を伺えるエピソードも残っています。
老中松平定信は「あっぱれ!300諸侯の中の随一の名君」と鷹山を褒めたたえました。

 

のちに1961年、35代アメリカ合衆国大統領になった

ジョン・F・ケネディーが大統領就任時に、「日本でもっとも尊敬する政治家は上杉鷹山!」と発言し、知名度がぐんとあがりましたね!

 

 

最後に上杉鷹山公の有名な言葉を贈ります!

「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり」

=やればできるんです!
今できることを全力で取り組みましょう(^-^)

 

 

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