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【置賜偉人伝⑮】光明海上人(僧侶)

星先生の『置賜偉人伝!!!』

第15回:光明海上人 (僧侶)

 

皆様、「即身仏」という言葉をご存じでしょうか?

即身仏とは、生きながらにして仏様になったという今の世の中では考えられないことなのです。全国でも18体しか現存しておらず、そのうち山形県のみで8体(約44%)を占めております。

山形県では、庄内地方に6体(鶴岡4体、酒田2体)、置賜地方に2体(米沢1体、白鷹1体)現存しております。

今回は、どういう経緯で即身仏になったのか、どうして山形県に多いのかを含めまして、そのなかでも新潟大学医学部チームによって化学処理を施されて、白鷹町黒鴨におさめれらている「光明海上人」についてお話していきます。

時は江戸時代末期の1800年代、飢饉(食糧不足、栄養失調による)、天災(地震、津波、台風など)、疫病(今でいうところのコロナウィルス)などにより苦しんでいた人々を何とか救済すべく、山形県鶴岡市にある修験道である湯殿山(標高1500メートル)にて修行しました。
鬼滅の刃にて炭治郎も狭霧山(さぎりやま)にて鱗滝左近次さんや錆兎(さびと)や真菰(まこも)と共に修行してましたね(*^▽^*)
湯殿山は、出羽三山(湯殿山、月山、羽黒山)の一角であり、はるか昔は火山の爆発により大変な荒れ地でしたが、時をして息を吹き返したかのように自然豊かな山となりました。
西暦563年(今から1400年以上も前)、第32代崇峻(すしゅん)天皇の蜂子皇子も修行をされていた大変歴史ある山です。その湯殿山の仙人沢にて千日回峻行と呼ばれる約7年をかけてお経を唱えながら礼拝するという厳しい修行をしたのです。おそらく湯殿山が近くにあるために、現存する即身仏が山形県に多いのだと考えられます。
その後、食べてよい物を木や草のみに制限し生きながらにして土の中にはいり一生を終え、その後弟子たちに掘り起こされ白骨化した仏様となったのです。
エジプトなどに現存するミイラと即身仏の違いは、ミイラは自然的もしくは偶然白骨化したものですが、即身仏は自力で修業し仏様となった、ということです。
白鷹町黒鴨の蔵高院には即身仏が今もおさめられております。
お参りしてこの未曾有で異例の事態であるコロナウィルスの終息を願いたいものです。

 

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